英語教育はどこへ?PartⅡ
こんにちは。またまた久しぶりの投稿で失礼します。今年もあと1か月余り、当方の仕事の種類がやや多様化してきており、仕事の取捨選択が必要なことを感じています。来年に向けて、英語の指導方法を集大成していく必要性がありそうです。
さて前回までの「今後の英語教育の行方?」について、今回から新しいタイプの英語教育に着手する際のプロセスを段階的に述べていきたいと思います。これは「論文」ではありませんから、教室で起こったことや、当方が指導しながら感じたことを織り込みながらお伝えしていきます。
先週、紙面上で文科省の英語教育に関する答申原案が公開されましたね。小学校3年生からの英語教育導入、小学5、6年生での英語正式科目認定、中学段階での英語による授業の実施、そして高校段階での英語の運用力(討論、発表能力)養成の実施が、この7年以内に答申されるようですね。率直に言って、これはどの程度の実現可能性と、仮に開始したとして効果が上がるものなのでしょうか。
誰が、カリキュラムを開発し、誰がそれを現場で実施するのか、そのプランとプロセス、それに手法を明確にして公表しない限り、いわゆる机上の戯言としてしか耳に入ってきません。また他の教育内容との整合を図らず実施することは、大きなリスクを伴います。何か国際化・グローバル化という言葉に踊らされて、焦りの中で表明された案でしかないように感じ賛同に値するものとは到底言えません。
このことは本ブログの目指すところと相舞うところが多く、別枠で議論を展開したいと思っています。以前からお伝えしているように、英語教育は英語を外国語として実際に学び国内海外を問わず、英語のみを使う環境の中でその習得を果たした人材が担うべきだと考えています。加えて指導するための技術と知識を求められることは言うまでもありません。英語を英語で全国規模で教える…? 「誰が?」という疑問を持たざるをえません。英語にはいや言語には守らなければならないルールがあります。時にそれは、英語で英語でを教えることであり、また実際にそれが言葉として現実の社会で使われることを常に念頭に置き、1回1回の授業を指導することでもあります。
当教室では、まさに実際にそれを実施しています。その内容って…? 文科省答申の内容は、何も義務教育に限って議論するものではなく、英語を言葉として身に付けるために実現していくべき道と関連付けて考える必要があるようです。英語教育の改革を目指すなら、教員の研修制度、教材の抜本的見直し、実践性あるカリキュラムの開発など、体制を整える指針と人材確保の見込みと計画が整ってから進めるべきだと感じてなりません。