現英語教育と制度改革のギャップって?
こんにちは。季節がまた変わり目を迎える時期になってきましたね。春から夏へ活動的に振る舞える季節でもありますが、猛暑、地震、気候変動など不安や懸念が再燃しやすい時期でもあります。いつも気を緩めず(たまには緩めたいですが…)、自他に気を配り淡々と日々を送ることが一番良いのかもしれません。
今回は、前回お話しした大学入試改革の一つの柱である英語教育の運用力重視への方向転換に加えて、それに続く大学の在り方についても考えてみたいと思います。最終段階では、年齢に関係なく英語を言葉としてどのように学ぶことが望ましいのか、モデルメソッドやカリキュラムについての企画提案も考えたいと思っています。この一連の内容は、今回のみの投稿ではとても語り切れないですから、何回かに分けてお伝えして行きます。
前回お話しました中央教育審議会の大学入試への英語スピーキング&ライティング力を評価する民間機関による試験導入を促すという答申につき、実現する上での優先事項をお伝えしました。
「国際化の促進」とうことばに焦点を絞りすぎて、それを形にするプロセスを怠ることは教育現場に様々な歪を生じることになります。先ずはその大義を支える教育者人材の育成を優先することの必要性を記しました。では何故それが重要なのでしょうか。
皆さんの中には、例えばTOEFLとう試験が現在どんな内容で、どんな実施のされ方をしているかご存じの方々も多いかと思います。この試験は、現在のTOEICタイプのPBT(Paper Based Test)の形態で実施開始され、主に米国豪州を中心とする英語圏の大学と大学院入学に求められる英語力を検査する試験として定着してきました。現在ではiBT (Internet Based Test)という形体で実施されています。これは、onlineでコンピューターの前にHeadsetを装着し、リーディング・リスニング・スピーキング・ライティングすべての英語技能が、コンピューターディスプレイ及び音声の指示に従って解答することで審査される試験です。
出題される英語のトピックは、高等教育機関(大学、大学院)で扱われる様々な学問分野から出題され、極めてレベルの高い語彙・表現が含まれます。中でもライティングとスピーキングは、特定分野の大学での講義・学生と教授のディスカッション・キャンパスでの学生同士の大学の教育方針に関する会話等を音声で聞き取り、それを基に英語で要約するもの、講義内容の論点の説明、対峙する意見の対比説明等を決められた時間内で、かつ決められた語数で解答していくという問題が主流となります。スピーキングはマイクに向かって話すことで録音され、ライティングはキーボードにタイプして解答を作成します。メモ取りは自由です。メモ用紙は配布されます。また特定のトピックに従って、同じく決められた時間内、語数で解答を校正し話す、書くことも別のセクションで求められます。トータルで4時間、受ける試験によっては、フェイクの問題が追加されていてトータルで4時間30分以上になることもあります。各技能30点配点、満点120点のテストです。
TOEFLは、今や最も手強い英語の試験になっていますが、英国の大学、大学院に入学するために必要なIELTSとい試験も4つの技能を検査する難解な試験です。中教審を屋台骨とする文科省は、この2つの試験も含めて日本の大学入試への導入を推進しているわけです。そこで質問です。こうした試験対策を全国規模で誰が指導するのでしょうか。現役の中学高校の先生方に自己研鑽していただいて指導することを、まさか考えているとは思えません。というよりそれはかなり無謀なことと考えます。だからこそこうした試験を導入するのであれば、指導する側の研修育成が必要となる訳です。
文科省の大学入試改革の中の海外英語教育機関を含めた民間試験の導入促進について、もう少し調べて次回は投稿します