英語教育改革の道のりは?
こんにちは。4月に入り冷たい雨が続いていましたが、ようやく春めいた新緑の季がやってきましたね。春から初夏に向けて気候の変化と共に教室でも様々な変化が起こりつつあります。いいこと悪いことを問わず無変化に甘んじることなく変化を追及していきたいものです。
前回お伝えしましたように、今回は国際化を目指す日本の英語教育改革審議について思うことを綴らせていただければと考えます。かなり前になりますが、今年2月21日付読売新聞に「変わる大学入試」と題した記事が掲載されましたね。改革の柱の一つである英語試験に関する新しい試みに対して深い興味を持ちました。文科省の教育改革の核的組織中央教育審議会は、各大学に英検・IELTS・TOEFLといった内外民間機関が実施する英語試験を積極的に一般試験に取り入れることを促していくとのこと。目的は、これまでの読む・訳す・単語を暗記する・文法主体の学習にメスを入れるということのようです。つまり話す・書く・読む・聞くという言葉本来の役割にフォーカスした本来実施すべき言葉の学習方法を中高教育の中に実現させていくことが狙いのようです。
こうした改革は、基本的には望ましいものと考えます。ただ本来英語は言葉なのだから、国境を越えたコミュニケーションを実現するために習得すべきことは当然のことで、なぜもっと早い時期に・・・という思いも同時に働きます。当教室は、「英語は言葉、使えなければ意味がないもの。」というモットーに基づいて、学ぶ場を提供実施してきました。この思いは、ある意味「当然なのに何故正規義務教育または民間の教育組織団体の中で実践されていないのだろうか。」という疑問から始まったものです。今後もこうした教育改革が進む進まないに限らず、持続していくことの重要性を改めて認識する機会なのではないかと受け止めています。
ところで、もしこの方向性が実現に向けて進んで行くとして、最優先して形にしていかなければならないこととは一体どんなことなのでしょうか。実践的カリキュラムの考案、言葉に対する意識改革、学習環境設備の拡充、どれも重要ですね。しかし何より大切なことは、改革の重要性に対する教育する側の強い認識と教授技術の向上にあると考えます。どんな事柄や問題に対しても、大義を唱えることはある意味易しいことです。ではその大義をどんなプロセスで実施していくのか、またそのために必要な要素は何か、更にはその必要な要素をどう形にし生み出していくのかの方法論無しでは、見た目の良い空箱のまま終わってしまいます。大義・目標を達成するための土台となるものをしっかりと思考し具体的な方策を完成させることが、今最も大切な事なのではないでしょうか。
教育制度下にある若い世代の国際化を意図して言語教育の改革を目指すのであれば、まず教育に従事する者の力量をもっともっと向上させなければなりません。そのために文科省を中心とする行政側が、しっかりとした予算形成をして教える側の人材育成を中心とした仕組み作りに一刻も早く着手すべきかと考えます。
次回は、英語教育の改革について、新聞記事にあったTOEFLなどの英語試験の仕組み・利点とその試験の持つ意味と対策に言及しながら必要なことをもう少し掘り下げて考えてみようと思います。